セピア色に染まって

この秋口あたりから、中高生の自殺のニュースを頻繁に聞くようになった。シリアスな話に適した表現ではないが、これは完全にブームと呼ぶに相応しい具合になってきている。実際、ひどく追い込まれてはいたとしても、この一連の流れがなければ決行には至らなかっただろうと思うのだが。
死というひとつの逃げ道を先駆者に提示されたことによって、いままではなんとか前向きに考え我慢できた痛みも完全なる苦痛になり、自殺に至るって図式かと。もはや芋蔓式である。
今の中高生にとっての自殺ってのは、大人が思ってるより重くないんだろうな。「命の尊さを〜」とか「生きてればいい事が〜」とかよく言われるけど、はっきり言って無駄である。大人達以上に『今』という瞬間を生きてる中高生にとっては、その『今』が楽しくないなら意味がないわけで、じゃあ死ぬか。みたいな。完全にスナック感覚とさえ錯覚させる。
僕はというと正直、他人事にそこまで親身になれないのだが、というかそもそも僕は年頃の大人になりきれてない子供、所謂ところのガキってのが嫌いだ。物事を短絡的に考えすぎなんだ。いじめの捌け口が自殺しかないってのがもうダメだ。自殺予告の件よろしくお偉いさんや先生その他が助けてくれるなきゃなんたらかんたら、みたいな人任せなとことか、冷たいようだけどもう正直救いようがない。そういうのに限って自分ではなにもせず、挙句の果てには、なんとかしろとかいっといて人の親切には「お前になにがわかるんだ」とか言っちゃうんだよね。自分から現状を変えようっていう気持ちをもたないまま人生終えるなよ。逃げってのは悪い事じゃないけど、それが自殺になっちゃうってのが信じらんない。人生に楽しみを見つけられないってのはかわいそうだよ。
人様の勝手な行動にいちいち死ぬなとは言わないけど、まだまだ生きる価値ってのはあると思うんだよ。30年後の空飛ぶ車を見たくなないかい?そして、それを作るのは君かも知れないんだよ。
ガキは嫌いだ。でも、この状況はダメだってことはわかる。実に正論だ。この負のスパイラルをなんとかしたい、というかなんとかできると思う。そんな思いで書いてみた。
おわり。